子どもにとっての「死」とは。

(過去のブログを引越する際、一部修正しました。)

 

昨年急にこの世を去った、主人の母が贈ってくださったお雛様を飾りました。

娘の初節句にと、母の好きな砥部焼の人形作家さんに作ってもらったもの。

亡くなってから半月後に、お手紙が添えられたこの雛人形が届き、おばあちゃんから孫娘への最後のプレゼントとなりました。

あれからもう一年も経つのかという思いです。

 

 

雛人形を出した日、何かを思い出してしまったのか、息子が「ママ、死ぬのが怖い。」と夜中にシクシク泣きだしました。

 

「まだ5歳だよ?100歳まで生きるとして、最後、楽しい人生だったなと思えれば、死ぬのは怖くないみたいよ。」と言うと、

「でも僕は95年後もまだまだ楽しいことをいっぱいしたいと思う。おともだちとも遊びたいし、iPadもいっぱいしたい。お目目が開かないのが怖いんだよ。」

 

 

母が亡くなる前後数日間の慌ただしかった記憶はいまだかなり鮮明です。

 

当時0歳と4歳の2人の子どもを連れて2回飛行機で往復したこと。

娘は高熱を出していたのに、抱っこ紐に押し込まれ飛行機内で泣き叫んでいたこと。

息子を保育園に迎えに行き鎌倉駅に向かう途中、いつもなら必ず一悶着あるオモチャ屋さんに目もくれず「急げ!急げ!!」と走ってくれたこと。

駅前に出来たばかりだった豊島屋パン屋さんでメロンパンを買ってあげたこと。

病院に到着して、脳に大きなダメージを負った母はほぼ反応だったのに、瞼を持ち上げると眼球を動かし、主人と孫に向き名前を呼んだこと。

 

そして、火葬場で「おばあちゃん、お骨になっちゃった。」とつぶやいた息子。

 

初めての身近な大好きな人間の死を、こどもながらにどう感じているんだろう?

鎌倉に戻ってきて、保育園の先生に長男の様子を聞き、耳を疑いました。

 

「いつもと変わらない様子ですが、、、」

「その部分だけ記憶がないようなんです。自分の中でなかったことにしています。”どこに行ってきたの?”と聞いても"どこにも行ってない"と。飛行機にも乗ってないことになってます。」

 

 

とても感受性の強い子なので、おばあちゃんが突然いなくなってしまったことがショックだったのか、自分の中に深く閉じ込めてしまったようでした。

なので、そのことには触れないようにして、しばらくそっとしておくことにしました。

 

 

先日、胎内記憶を話してくれたのをきっかけに、長男が突然尋ねてきました。

「おばあちゃん、もう新しいママを見つけたかな?」と。

 

 

死というものを受け入れることは、大人にとっても難しいことです。

それこそ、恐怖感をなくすなんてジョブズさんくらい毎日後悔のない生き方をしなくては無理なわけで、私自身、未だに怖いもの。

 

今、母に出来るのは「95年先を憂えて泣くのはアホらしいのでやめなさい」と諭すことくらいですかね。

 

 

あ、お雛様の話題なのに、娘の登場ほぼ無し(笑)

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